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回顧録:2003年アイスランド・エアウエイブス見聞記パート2

 前回に引き続き、2003年に初めてアイスランド・エアウエイブスを見た時の見聞記をお届けします。映画『スクリーミング・マスターピース』でのヨハンの教会ライブもこの時でした。訂正事項は前回と同様、文の最後に置いてあります。

2003年Icelandic Airwaves見聞記 :パート2

 前回も書きましたが、正しくは「Iceland Airwaves」です。2003年には、フェスの名前さえ正しく把握してなかった私(汗)

2003年10月17日(金)
 音楽の趣向により会場分けしてあるとはいえ、見たい聞きたいという注目に値するアーティストをこれほど多く一挙に出すのはルール違反だろう。腹が立ってくるのと同時に、身を割いて何カ所かに配置できない事実に虚脱感さえ覚える。

 この日の会場メニューに加わったのは:
*ハトグリム教会 (ハトグリムスキルキャ) :言わずと知れたレイキャヴィーク中心街のシンボル。丘の上にそびえているあの教会だ。教会の品位を損なわないものであれば、音楽的、文化的催しに理解を示し、教会を貸し出してくれるのだそうだ。
 そして私のライブ・メニューは
17:00 Johann Johannson with the Ethos String Quartet and Matthias MD Hemstock (教会)
22:00 Brain Police (Gaukurinn)都合によりボツ
22:40 Biogen (Kapital) 都合によりボツ
23:00 Singapore Sling (Nasa)
01:00 Quarashi (Nasa)
02:00 Dadadrengir (Nasa)

 この日はココロから楽しみにしていたライブがあった。そう、ハトグリムス教会で行われるヨハン・ヨハンソンのソロ・コンサートだ。ヨハンとは個人的に会って話したり、アパラット・オルガン・カルテット(ヨハンはバンド・メンバー)のリハーサルを見せてもらったりと、何かと仲良くしていたし、ハトグリム教会で弦楽四重奏との共演という設定にも惹かれるものが大いにあった。
 はやる心もあり、日本人的な律儀さも手伝って、会場へ到着したのは開演の30分前。日本のライブであれば30分前には人が集まり始めるが、レイキャヴィークでは10分前にボチボチ人が来るかなぁという程度だった。まだ午後5時なので仕事帰りに寄るにしても少し早すぎて、ライブの時間設定としては中途半端なのだが、教会側の都合もあり、この時間しか設定できなかったそうだ。
 ヨハンのソロ・アルバム『Englaborn(エングラボーン)』は、同名の劇場劇用に書き下ろした音楽に、若干のアレンジを加えたものだ。聴きようによっては、アンビエントとも、現代音楽とも解釈ができ、音楽を始めた当初彼がパンクに関わっていたとは到底想像ができない響きがある。現在関わっているアパラットとも全く嗜好が異なる。しかしそのどちらもヨハンの持ち味であり、だからこそアイスランドの音楽アーティストとして重要な地位を築くであろうと私は践んでいる。

 最初に『Ebglaborn』を聴いた時は、ごく当たり前のサウンドトラックのように思えて聞き流す程度だったが、この教会コンサートでの色彩豊かで情感に溢れるライブに触れて、とたんに大ファンになってしまった。
 昨日のキラキラのライブもそうだったが、要はレイキャヴィークの音楽シーンが放つ雰囲気が私は大好きなのだ。それは東京やニューヨーク、ロサンゼルスやロンドンなどの大都市とは異なり、都会という毒を孕まず、芸術を気取ることも、野望に心を乱されることもなく、何かをクリエイトしたいという純粋な動機からの音に対する欲望であり空気なのだ。もの悲しいほどの静寂を何かで染めよう、大自然に浮かぶ孤独を音で埋めようとする努力の結晶のようにも響く。

 教会の持つ凛とした空気も手伝って、このコンサートは本当に素晴らしかった。一段高い祭壇の上ではなく、ステージは観客と同じフロアにセッティングされていた。ミュージシャンが何気なく現れ、拍手もないままごく自然に音楽が流れ始め、次に拍手を聴いたのは、演奏が全て終わってからのことだった。ひたすら美しく、物悲しく、夕焼空のピンク色が教会内に差し込み、どこまでも素敵な設定だった。

 自画自賛になるがここで私は少し粋な計らいをしておいた。コンサートの打ち上げと親睦を兼ねて、このライブのプロデューサーとヨハンと私の3人で、食事のセッティングをしておいたのだ。観客である私はライブ直後に時間が空くが、関係者は後かたづけ等があるため、時間に余裕を持たせて8時にライヤルブレッカに集合をかけておいた。ライヤルブレッカはツーリスト・インフォメーション・センターのすぐ横にあるアイスランド料理店で、クラシカルで心地よい雰囲気の中、野性味ある料理を出す。

「いやぁ、会場に着くまで、自分があんなに緊張していたなんて知らなかったよ」というヨハンを迎え、「あれほど早い時間帯にもかかわらず250人以上も集まったし、報道関係者も多かったから成功だ」というプロデューサー氏の言葉で、「おめでとう、お疲れさま」の乾杯となった。
 告白すればこの2人は現時点で私が一番好きなアイスランド人男性なのだ。
 「ヨハン、聞いたかい?”現時点”でだってさ。きっと次に悠加がアイスランドに来る時は、メンバーが入れ替わってるんだぜ」と軽口を叩かれながら食事は始まった。このメンバーに誰かが加わることはあっても、入れ替わるとは思えないのだが、
 「そうよ、なにせ日本人女性は珍しいから、いつどこでいい男から声がかかるかわからないもんねぇ。次回と言わず明日になったら二人とも総入れ替えかもよぉ」と切り返しておいた。
 夫と子供がいる身ではあるが、ゲイ友と疑似デートするとか、こうして気に入った男性を複数さそって食事をするとか、まぁその程度の楽しみは許してもらっていいだろう。

 そんな風に時に冗談交じりに、時に真剣に音楽談義などをやりながらの食事だったので、つい長居をしてして幾つかのバンドを見逃してしまった。それでもシンガポール・スリングを見ないわけにはいかない。ここのギタリストであるエイナールはCDショップの店員で、かなり頻繁に顔を合わせる。アメリカのレーベルと契約のある期待のバンドであり、彼の晴れ姿も見たいので、グラスに残った赤ワインを飲み干してナサへと足を向けることにした。

 街が小さいのはこういう時に便利だ。レストランから会場までは徒歩3-4分といったところ。特に報道パスを持つ我々は列に並ぶことなくスイスイと会場入りし、念願のシンガポール・スリングのステージに間に合わせた。

 食事の赤ワインでかなり出来上がっていたが、真性ロックンロールのこのバンドをビールなしで見るわけにいかない・・・という強引な理由でビールを手にしながらの鑑賞となった。パワフルなヴォーカルとさり気ないテクの光るギターが印象的で、いつも真面目そうで大人しいあのエイナールも今夜は見事なギターゴッドに変身していた。こういう時は小難しい事を考えて聴いても面白くない。陳腐な言い方になるが、私はビートとビールに身を任せてライブを純粋に楽しむことにした。

 髪を振り乱し汗だくでの熱演ライブが終わり、楽屋にでも行ってメンバーに会ってあいさつでもしようと思ったら、ナサではバックステージパスがないと楽屋に入れないそうで、報道パスを持っていても追い返されてしまった。何でもゆるゆるなアイスランドにしては、かなり厳重にバックステージが守られていた。

 この時点で連れとは転々バラバラになっていたので、酔いを醒まそうと少し外に出た。さすがに真夜中過ぎの外は寒い。それでもピリリとした空気は心地よく、深呼吸をして、次のギグまでの時間をどう過ごすかをボケっと考えた。しかし独りで突っ立っていると、酔っぱらいに絡まれたりするので、外にいるのは得策ではない。近場のゴウクリンとヴィダリンをそれぞれ少しつづ覗き、結局また超大混雑のナサに戻ってきた。

 カラシは世界的に人気のあるアイスランド有数のバンドである。日本でもサマーソニックを筆頭に何度か来日し、日本のアーティストとのコラボもあり、勿論現地でも人気が高い。新メンバーが加わってのライブなので、内外からの注目度も特に高く、会場はやっと身動き出来る程度の大混雑。外は長蛇の列で、入場制限がかけられている。
 ステージ上のカラシをよく見るとメンバーが代わっただけではなく、一人増えたようで(アイスランド語がわからないので、ゲストだったのかもしれない)、その分ラップに厚みが出た。相変わらずメタリックなギターがかっこいいし、軽快なブレイク・ビーツも爽快で、縦ノリの男の子系ライブだが、以前よりも演奏に深みが出た感じで、アーティストとしての成熟が感じられるパフォーマンスだった。

 それにしても目まぐるしい。4-5時間の間に同じステージを6バンドが共有しなくてはならない。いくらアイスランドは時間に甘いとはいえ、モタモタしているとすぐに時間が経ってしまうので、特にこのナサでは時間が厳しく区切られ、アーティスト1組のステージは30-45分と短いものだった。そんな短さも手伝って、間延びしたり飽き足りなくなる前にステージが終わってしまうので、ホント、おちおちノンビリと聴いていられない。
 だからエアウエイブスはショーケイスなのだ。フルライヴは期待できない・・・とはいえ、ヨハンのコンサートはフルだったか・・・。

 さて、次はダザドレンギルだ。およそ聞いたとのないバンド名であるとは思うが、シンドリの所属バンドと言えば分かる人も出てくるだろうか。そう、シンドリはアイスランドが産んだ歌姫ビョークの息子だ。私も他の報道陣の御多分に漏れず、シンドリが見たくて夜中の2時までナサに陣取った。
 ダザドレンギルは2003年にアイスランド最大のバンド合戦で優勝したバンドであり、ニューウエイブ・エレクトロ・ヒップホップ・バンドと自らを名乗り、軽めのエルクトロ・ビートにアイスランド語のヒップホップが踊る。個性的な音を出すバンドで、シンドリの存在の有無に関わらずこれからの活動に注目して損はない。
 そしてシンドリはやはりビョークに顔がよく似ていた。ベーシストであり、身体も小柄なので特に目立つ存在ではなかったが、音楽関係者の話によれば、「ビョークが母親であることを抜きにしてシンドリは才能があり期待できる」という。彼はまだ若干17歳の若者であり、今まで常にビョークの側にいて彼女の活動を垣間見ながら育ってきた。いわば生まれながらに音楽アーティストとしての英才教育を受けてきた。
その彼がこれからの時期を母国アイスランドで過ごすのは、とても有益なことのように思える。アイスランドではどんなに有名でも、彼らをちやほやする者はいない。アイスランド首相だろうがビョークだろうが、肩すかしを食うくらいごく普通の人として扱われる。そういう媚びのない環境の中で、地に足を着けてじっくりと音楽活動に取り組めば、自ずと個性が花開いてくることだろう。

2003年10月18日(土)
 アイスランドでの貧乏旅行者の鉄則に、「ホテルの朝食は腹一杯食べろ」というのがある。元来、朝食が苦手な私も、食費節約のため朝食は割合キチンと食べるようにしていた。しかし、高揚した神経を抱え夜中の3時にホテルへ帰れば、薬に頼っても眠りにつくのは早くて明け方。ある程度の睡眠を確保しないと今夜もがんばれないので、当然朝食は抜きとなる。

 どうやら私は、瓶の中に残る半分の砂糖を見て楽しむクチではなく、無くなってしまった砂糖を悔やむ派なのかもしれない。エアウエイヴスのスケジュール小冊子を見ながら、あれもこれも見ることができなかったなぁとひとしきり悔やんだ後、見聞きできたバンドを考えて、やはり選択は間違っていなかったと自分を宥める。何が悔しいかといえば、一晩に50-60組も出ているのに、その10分の一も見ることができないことだ。自分の趣味に合わない音楽もあることだろう。でもせっかくアイスランドまで来ているのだから、出来る限り見て聞いて帰りたい
と思うのは、ごく自然なことだ。
 ホント、このスケジュール何とかしてよ!と主催者に言いたい。
 5日間といっても初日と最終日は10組も入っていない。5日間と謳っているのだから、キッチリ等分しなさい!と一人で腹を立てる。それにそんな風に感じているのは私だけではないようなので、主催者側にはメールで不満を伝えておいた。そんな意見は無視されるとは思うが、来年の動きに期待をかけることにしよう。

 まず、この日に加わった新しい会場を
*Pravda(プラヴダ) :エアウエイヴスのメディアセンターであるヘレッソの横にある白い店。
*Blue Lagoon(ブルーラグーン) :あの有名なブルーラグーンも会場となり、午後1時から「二日酔いパーティ」と題され、トミーホワイト・バンドが出演した。

*Hafnarfus(ハフナルフゥス) :港近くにある美術館。英語ではハーバー・ミュージアムとも、レイキャヴィーク・アート・ミュージアムとも呼ばれる。常設展示物はエロ(Erro)であることからもわかるように、近年のアートを中心に扱う。音楽への理解も深く、夜の遅い時間にコンサートが行われることもしばしば。

 さて、本日のお品書きは・・・
 19:00 Mugison (Pravda)
 20:15 Ensimi (Gaukurinn)
 21:00 Call Him Mr. Kid (Nasa)
 21:30 Worm is Green (Nasa)
 22:15 Trabant (Nasa)
 23:00 Blake (Nasa)
 23:30 Minus (Gaukurinn)
 あとは適当に VidalinのThule Techno Nightへ
  01:00 Gus Gus (Nasa)

  かなり盛りだくさんではあるし、細切れになる部分もあるが、スケジュールを見る限り、可能なはずだった。会場により多少の遅れが出るので、全部は無理だとしても、半分くらいはこなすつもりでいた。

 Mugison(ムギソン)は2003年9月、Mum(ムーム)と共に東京公演を行った新進アーティストだ。ワンマンバンドと称して、前に置いたラップトップでバックトラックを演奏させ、自らはギターとヴォーカルをこなして、ひとりだけでステージを展開する。2002年に突然どこからともなく現れた大注目アーティストで、地元の人気はすこぶる高い。
 私は東京でのステージを見ていたが、果たしてどのくらい地元で盛り上がっているのかを見たかった。開演も午後7時と早めだったため、迷わずムギちゃん(個人的にそう呼んでいる)を選んだ。ムギちゃんには業界仲間の親派がいて、イコール私の仲良し派でもあるため、キッチン・モーターズのメンバーや12Tonar関係者がわんさか来ていた。

 しかし、これがまず最初の番狂わせだった。機材の調子がイマイチということで、開演が遅れに遅れ、開演は8時45分頃という情報が入ってきた。そうであれば待っている間に8時15分からのエンシミを見ることができないかとガウクリンへ向かった。ガウクリンはプラヴダから3-4分程度の場所にあるから、10分程度であればエンシミを見てきても差し支えない。そうしてプラヴダを出てみると、通り沿いに大音響でハードロックが聞こえてきた。それも4-5階建てビルの最上階から音が漏れてくるらしい。
 フェスティバルの小冊子を再チェックしても近所にそんな会場はないはずだし・・・・不思議に思いながら歩き始めると、あるビルの入口に小さな人集りができていた。そしてその横には、「Underground Airwaves」というチープで地味なポスターが貼ってある。本家本元のエアウエイヴスには参加しない(参加できない?)、マイナーなバンドが自主的に運営した公演らしい。興味をそそられたので階段を上がると、汗くささが鼻につく会場で、雄叫びとビートが激しく交差する過激なロックが繰り広げられていた。客の入りはそこそこで、前列は盛り上がっていたが、後方では手持ちぶさたにコーヒーを飲みながら単に時間つぶしをしている者が目立った。
 汗臭いのも苦手だし、過激なロックを楽しめる年齢でもないので、「エンシミ、エンシミ」と唱えながらガウクリンへ向かった。しかし、開演時間が迫っているというのにエンシミはまだリハーサル中で、下手に待っているとムギちゃんが始まってしまうため、プラヴダへと引き返すハメに。

 プラヴダへ引き返して分かったことだが、どうやら私が離れてから間もなく開演したようで、私が見たのは3曲目からであると隣の人が教えてくれた。さすがに地元の観客は暖かい。その雰囲気にムギちゃんも安心したのか、東京公演よりもずっと進行はスムーズだし、伸びやかに演奏している。そして「知ってたらみんなもいっしょに歌ってほしい」という「Poke a Pal」は、みごと全員(私以外?)が合唱していて、ムギソン人気を改めて印象づけた。それから最初はアイスランド語でしゃべっていたムギソンは、外人も混じっていることに気付いたのか、途中で英語とアイスランド語の両方で話してくれたので、私もその屈託のない会話を楽しむことができた。

「ムギソン!ムギソン!」というアンコールに応えては、「さっきリハーサルで一度試した曲をやるけ、ひどい出来なんだ。だから期待しないでくれよ(会場内爆笑)」ということで、「スタンド・バイ・ミー」を披露した。もちろんコーラスの部分は大合唱だ。
 機材の不調で演奏できなかった曲もあったそうだが、そんなことは関係なく、観客とアーティストで作り上げた濃厚で親密感のある心暖まるパフォーマンスだった。ライブ後、機材を片づけているムギちゃんに、「東京公演よりずっとよかったよ」と声をかけると、「おぉ、また来てくれたんだ。ありがとう」とはにかんだように微笑んだ。

 そして再び遅れていたエンシミのライヴを思い出し、私はガウクリンへ繰り出したが、どうやら見逃してしまったようだった。エンシミの
アルバムが気に入っていたので、これを逃したのは少々がっかりだったが、ムギソンが期待以上によかったので由とした。

 次なるバンドを目指してナサへと歩き始めると、ムギソンのライヴでいっしょだった関係者に出くわした。それもみんな揃ってライブ会場が存在しない方向へと歩いて行く。
 「今から、関係者の家のパーティへ行くんだ。悠加も行くかい?」とヨハンが誘ってくれた。
 「何の関係のパーティ?」
 「僕もわかんない。キラキラの知り合いだそうだ」
 Call Him Mr Kidはパスしてもいいものの、Worm Is Greenは見たいよなぁと思いつつ、関係者のパーティとやらを覗ける機会は滅多にないとので、ここは腹を括って関係者一同に付いていくことにした。(次回に続く)
訂正まとめ:
正:『Englaborn(エングラボルン)』 誤:『Englaborn(エングラボーン)』

(小倉悠加/ Yuka Ogura)

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