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アイスランド発 ビョーク『 バイオフィリア』アイスランド情報紙特別インタビュー翻訳!

今回のICELANDiaブログは、新作『Biophilia』の発表に伴いアイスランドで行われたビョークのインタビューをスペシャルでお届けします!
The Reykjavik Grapevine  http://www.grapevine.is/home
BJÖRK WILL TEACH YOU!(記事の英語原文)
  http://grapevine.is/Art/ReadArticle/BJORK-WILL-TEACH-YOU
  Interviewed by Haukur S. Magnússon
  Photo provided by The Reykjavik Grapevine
  Japanese translation by Yuka Ogura

   この記事はアイスランドの英語情報誌The Reykjavik Grapevineに掲載されたもので、 ICELANDiaは許可を得て翻訳・掲載しています。英語記事の著作権はGrapevineに、日本語訳は小倉悠加にあります。無断掲載、引用はお控え下さい。

ビョークが教えます!

 率直に言おう。ビョーク・グズムンズドッティルは天才であり、イノベーターであり、先駆者だ。彼女の最新作『Biophilia』は類い希なアルバムで、少なくとも過去10年の作品の中で最高の出来だ。アプリ、グラフィック、コンセプト、そして音楽学校(!)と、インスピレーションあふれる革新的な方法で未来を垣間見せる作品を前にすると、他のあらゆるアーティストがマジで霞んでしまう。読者が興味あるのはこんな前書きよりも彼女の言葉だろうから、前置きはこのくらいで終わりにしよう。

 ここ数日ずっと『Biophilia』を聴いていてきました。そして先ほどあなたのアシスタントからアプリ、教育的側面、コンセプトについての説明を受けて、驚きました。これはいったい何なのか?あなたは何をしたのか?いったいぜんたい何がどうなってるのか?としか尋ねようがない。

 このプロジェクトの最もシンプルに説明するには、タッチスクリーンについてを話すのがいいと思う。アルバムを作るといつも、自分が何をしているのか定かではなくて、完成後にゆっくりと座って、そこに少しでも意味を見つけようとするの。今回もマンチェスターのライブの後でかなりのインタビューをこなすまで、このアルバムのアイデアやコンセプトをシンプルに適切に説明できなかった。その鍵となるポイントがタッチスクリーン。

 「Volta」ツアーではリアクタブルやLemurという機材としてタッチスクリーンを使用した。2008年に新しいプロジェクトを始めた時、音楽を書く道具としてそれを使い続けたいと思った。「こういった機材でどう音楽を書けばいいのか?」という疑問は、私が自分の曲をどのように構築するかをマッピングすることにつながり、それは小学校で音楽を学んでいた時代に私をタイムスリップさせた。音楽教育の何が好きで、何が嫌いだったかということ。そして音楽を書くことについてをどう考えていたか、とか。それが私の頭の中のプロセスだった。そしてタッチスクリーンが革命的なことをもたらしてくれた。

 タッチスクリーンはコンピューターとの関わりに変化をもたらしていますね・・・

 そう、そういうこと。このプロジェクトを一言で現すとそういうこと。私が音楽理論をどう考え、どういった手順で曲を書くのか、それをいかに新しいプロセスに変換できるかをマッピングした。というのも、私は吟遊詩人のようにピアノやギターで曲を書くことができない(ため息)。だから「私がもしもフォーク・シンガーのように曲を書くとしたら、私にとってのアコースティック・ギターに相当する楽器には、何があればいいのか?タッチスクリーンに何を入れればいいのか?」というようなことを考えた。すると私はすぐに自然とその構造を考えて、そこに入り混んでいった・・・。

 もう少し言えば、楽典や音楽を学ぶことは、アカデミックすぎると感じていた。実験的なことをしたり、自分の声やスタイルを見出すということはできなかった。個性を育てるのではなく、交響楽団で演奏できる子供をコンベアーベルトで一斉にトレーニングさせるようなものだった。「1日数時間の練習を15年間続ければ、交響楽団で演奏できるかも」というのがご褒美みたいなものだった。それも悪くないし素敵なことだし、私もクラシックの演奏者を見るのは好きだし、尊敬するけど、音楽好きの子供には他にも大切なことが沢山ある。例えば作曲がそのひとつ。親なら自分の子供が描いた絵のすべてを壁に飾りたくなるでしょう。とても素敵だから。そこで思ったのは「ヴァイオリンの達人でなくても、絵を描くように子供達が音楽を作れたなら・・・」ということだった。

リズムの重要性

 なるほど、あなたのアシスタントは(『Biophilia』のイベントを初めて行った)マンチェスターの子供達があなたのアプリで音楽を演奏するビデオを見せてくれました。あれはずっと必用だと思っていた楽器、それとも器械とでもいうのでしょうか?

 少しはそうかも。それよりも、わがままを通したってことだと思う。小学校ではこう学びたかったと思う訓練や講座を、自分が参加することのできなかったものを、「そのことを嘆くのではなく、ここでクリエイトすればいいのでは?」と思った。もしかして、これはより直感的な作曲方法なんじゃないかとか?私は外を散歩中にリズムを考えながら多くのメロディを書いてきた。私にはリズムがいつもとても大切で、シュガーキューブスでも、ククルでも、頻繁に(両方のバンドのドラマーであり、非凡な)シグトリギュールと組み、リズムとヴォーカルで曲のベースを作った。声とビートというのは、普通じゃないソングライティングのアプローチだけどーー普通の曲はコード進行からまず作られるけどーー私はそのやり方がピンとこなかった。だから、アシッドハウスとかエレクトロのムーヴメントが到来した時、私が飛びついたのはごく自然なことだった。そこにはリズムと声があり、私が好きな要素があった。

 ということは、そのようなやり方しかなかったという理由でロック音楽の限られた枠内からまず始め、チャンスが来た時に更にリズミックな領域に飛び込んでいったということ?

 そう、そんな感じだった。それに、それは私だけではなかったと思う。みんなが認識していたよりずっと大勢の人が、インディ・シーンにはまっていったと思う。 音楽に限らず、その哲学、スタイルや精神性なんかを。アシッド・ハウスやエレクトロが出てきた時に飛びついた人たちはね。あれはより女性的な構造を含んでいたと思う。私は性別に関して本質主義者じゃなく、男性的なものの中に女性的な資質はあるし、その逆もまた然りだけど思ってるけど、パンクには男性的なマッチョが色濃く、エレクトロはワールド・ミュージック、リズム、流れやフィーリング等に関連深かったと思う。

フラストレーションを抱える音楽教師

 90年代の間ずっと、あなたはエレクトロ革命をアイスランド人に紹介する大きな役割を果たした。そして『Biophilia』では、特に教育的側面において、新しいテクノロジーやアイデアを人々に紹介したと考えていいのでは。そういう意味であなたは伝道師なのだろうか?福音を広めよ、みたいな?

 あら(笑)。私がフラストレーションを抱える音楽教師であることは確かでも、「アイスランド人にエレクトロを紹介した人物」という功績は受けられない。それは多くの偉大な人物がやっていた。私は可能な時にその手助けをしたし、それができるポジションにいただけ。

 でも、私はフラストレーションを抱える教師に弱いのよ。デヴィッド・アッテンボローや、最先端のエキゾチックな音楽をアイスランド人に紹介したラジオ・ショーをやってた(スメクレイサ・レコードの頭、アイスランドのオルタナ音楽のゴッドファーザー)アウシーとか。私は全身が耳になってた。今もそう。人の話を聴くのが好きだし、元来好奇心が強いし、人がどんなことをしていて、何を知っているかを教えてくれたりすると魅了されることが多いし、それをみんなに伝えたいと思う。

 大人になったら私は音楽教師になるとずっと思っていた。でも、ポップ・ミュージックの冒険が始まり、すごくそれが気に入ってしまった。まだそのことを友人と冗談で話すことがあるわ。いつか小さな孤島に移住して、そこでリコーダーの笛の演奏を子供達に教えるってね。それが私の引退の計画。それは冗談だけど、冗談でもない。わかるでしょう?

 『Biophilia』のコンセプトに教育的な側面を織り込むことできたことにすごくエキサイトしたのも、それがひとつの理由。プログラミングをし始めた時に、その考えが浮かんですごく興奮した。「うわぁ!音楽を教えるという長年の夢を、私の次のアルバムに織り込むことができる!」って。以前は思いつきもしなかった!決定的瞬間だったわ。当初はタッチスクリーンでアルバムを書くという計画しかなくて、その他のことは後から出てきた。2008年の時点では、テクノロジーがこれほど広がるとも思わなかったし。

ビョーク会社、研究開発部門(またの名をジェイムス・メリー)

 基本的にはアルバムを書く道具を開発し、特に変哲はなかった、と。ビョークのところに「研究開発部門」はある?どんな風になってるんだろうか?

 ふふふ。私の「研究開発部門」はジェイムス(メリー、ビョークのアシスタント)の、ワンマン・チームがあるだけ・・・普通私はアシスタントを雇わないのよ。自分を見失わないように、自分で電話をかけたりして、3年間は自分でやってきた。『Biophilia』のプロジェクトを開始した1年後に、誰かにその仕事をやってもらおうと思ったけれど、それでも普通のアシスタントじゃなくて、特にリサーチを頼みたかった。ジェイムスはダミアン・ハーストの仕事をしてきたことがあり、旅行ができる仕事を探していた。ある意味、彼は望みを叶えたと言えるわね(苦笑い)。なにせ『Biophilia』の制作では、世界中を訪ねることになったから。

 こんな風に制作するアルバムはすごく楽しかった。『Volta』とそのツアーは、私にとってグランド・フィナーレみたいなものだった。「管楽器の女子を10名連れ添って、旗を掲げて、あらゆるフェスティバルで、フェスティバル受けする昔のヒット曲を全部やって、ビッグバンみたいに盛大にやってやろう!」と思った。その後は穴を掘って、最初から始めよう、と。『Volta』が終わると同時にユニバーサルとの契約も切れ、ちょうど4年前にレディオヘッドがオンラインでアルバムをリリースして、好きな金額を支払えるようにした時と似たような状況になった。ホ~って感じだった!やっと格子から外れることができて、いろんな会社からオファーを受けたけど、全部断った。きっと何かいいことが起きるに違いないと思って・・・すごく自由になった感じだった。

 独立したということ、何の要求に応える必用もなく、何も無い・・・。

 そう。当初このプロジェクトは私とジェイムスと、私のサウンド/プログラマーのダミアン・テイラーだけであれこれ全部をやっていた。意図的に誰も雇わず、プロジェクトは身近なところに置いておきたかったし、資金もなかったし。次のスタジオ・セッションの代金を何とかやりくりできる程度だった。一年程度そんな風にやっているうちに、私が故郷アイスランドの環境や政治の争いに組み込まれていったことに気づいた。そのこととや他の理由もあって、私はプエルトリコに家を借りて一年を過ごした。そこで楽器を開発し、5億冊本を読み、10億本DVDを見た。みんな私たちの頭がおかしくなったと思ったみたい。恐ろしかったけど、でも同時にすごくエキサイティングだった。

「・・・狂気の精神障害者」

 私たちはそんな時期を経て、次にオドニー(エイル・アエヴァルスドッティル・小説家)と、故郷のアイスランドでグリーン・カンパニーの推進や創設を手伝う仕事の時期に入った。そこに大量の失業者を出したKreppa(経済崩壊)が起こり、それなら私のアルバム・プロジェクトで雇用を作り出せばいいと思った。例えば、建築半ばで放置された建物を、 各部屋ごとに音楽にまつわる様々なことや理論を教え、それを更に自然の世界のレッスンと結びつけるような子供達のための音楽博物館にするとか。

 それから、稲妻の部屋では稲妻を操りながらアルペジオが学べて、振り子の部屋では、ベースラインや対位法を知ることができる・・・各曲ごとに、そんな感じの部屋を10個ほど考えていた。

 何名か人に会い、真剣にそれに関して調査してから、 それはやるべきではないと判断した。崩壊のただ中では独りよがりのように感じたから。コミュニティへの恩返しを考えて、よかれと思ったことだったけど、微妙な線だった・・・。

 それで、ナショナル・ジオグラフィックが連絡してきた時には既に、3D映画を作ろうということになっていた。ミッシェル・ゴンドリーに電話を入れて彼の参加が決まっていたし、ションと私でスクリプトを書いた・・・というか実際は、私のゴチャゴチャした考えや、彼の考えを書きとめる前に、彼は私の話を一億年分聴かされたんだけど。でも結局、映画の資金繰りは狂気の沙汰で、目的達成までに10年かかりそうだったし、映画制作に熱意があったわけでもないので、映画はやめにした。

 どちらにしても目的は、子供達が音楽や自然の世界を理解して親しむ助けになる何かを作ることで、映画製作者を夢見てたわけでもなかったし。そして奇異なことに、そうこうしているうちにちょうどiPadが出現した。私たちは10曲書き、そのひとつひとつにプログラムを書いてあった。だから、このプロジェクトをiPadへ転換するという最終行程が、一番簡単だった。

過激な活動家 /  受け身の庭師

 曲作りのプロセスに興味があります。自分で作ったプログラムをどのように使ったのでしょう?「lightening song」「moon」「cycle」「pendulum 」はアプリケーションでも明確に写し出されていますが、それはどんな風にして?音楽はリサーチの結果であると?それとも、そのアイデアを後にメロディとくっつけたとか?

 このプロジェクトは他のものと異なり、”つながりたい”気分だった。『Volta』のすべては、意見を述べ、行動を起こし、声高に苦言し、間違っている、悪であると思ったことを指摘することだった。自然保護のために立ち上がり、「みんな腐りきってる!」「独立を宣言しよう!」とか。私は人に罵声を浴びせる過激な活動家だった。

 今回はその対極で、私は小さくしぼんで「受け身の庭師」モードに入った。マッチョな行動はなく、リサーチに時間をかけて、種を蒔いて世話をして大きく育てた。ルーツが同じ曲はないし、同じ方法で作った曲もない。

 例をあげれば「Moon」という曲は、 振り子プログラムのアイデアが出た後に書いた曲だった。ダブルの振り子の動きが少し、ベースラインや対位旋律みたいに見えるかもという・・・考え方としてはね。私たちはそれに見合うプログラムを書き、それから(長年のビョークのコラボレーターである)ションが、自転を続ける地軸のサイクルや・・・クリスマスについての「Solstice」という詩を持ってきた。それが振り子の動きに結びつけられてぴったりだった。そんな風に物事が進展していき、それぞれの曲毎に事情は異なるけれど、どれもそんな感じだった。ひとつの方法にとどまらず。

学校に戻ろう!

 そこにある共通の要素は「リサーチ」または教育的視点ということ?

 その通り。私は学校に戻りたいと思ってた。だからこれを作るプロセスで多くの科学者に会い、本を読み、ドキュメンタリーを見て、様々なアイデアや理論のことを考えた。とてもいいプロセスだった。『Volata』では、あれもこれも酷すぎるので改善を!と叫んだから、新しいやり方をリサーチしてみんなに知らせ、解決方法を探ることは責務だと感じた。ある程度のところまでであれば、鍋釜を叩いて鳴らすのも重要になり得るけれど、最終的にはただ単に今の状況が気に入らないと叫ぶのではなく、物事をどのようにしたいのかを考えて、解決方法を見出す必用がある。

 それはこの2年間で「(環境に配慮した)グリーンを始めよう」でやろうとしてきたことにも関係しますね。去年インタビューした際、記事の横に「グリーンで始めることのできる物事」のリストを掲載する重要性を説いていましたよね。

 そうね、自然保護やそれにまつわることに関わり、すごく心を動かされた。プロテストを2年間続けた後、新しいアイデアや新しいやり方を四六時中オドニーと考えた3ヶ月間で、古いシステムはもう何も機能しなくなっていると感じた。だから新しい何かを提案する時期にある、と。

 何かに指をさして悪者扱いにするのは終わりにして、自分が望む方向に、自ら方向転換する必用がある。有言実行ということね。

 周囲の人々が倒産し、家をなくし、老後の資金も全て失い・・・そんな状況で、当たり障りのない音楽を作るなんて、どうしてもできないと思った。それ以上のものが必用だと思った。

ビョークの遊び道具

 先日、1995年に掲載されたSPIN誌のインタビューを読みました。そこであなたはいつも、おたくっぽい、大学教授のような、具体的にはデヴィッド・アッテンボローのような人物を好きになると言っていました。そしてこの『Biophilia』プロジェクトで実際に彼と仕事をして・・・これはもしや、夢のプロジェクトがようやく実現したことに?

 ええと(クスクス笑い)・・・そうね、私はずっとオタクっぽい、頭でっかちな大学教授みたいなタイプを好きになってきた。ほら、自然のことや、宇宙や世界のことを話してくれるような人。デヴィッドは私のそんな女神みたいな人のひとりであることには違いないわね。夢のプロジェクトというか・・・確かにちょっとはそんな感じかな(うれしそうな笑い)。今はあれこれのすべてが楽しい。ジェイムスとダミアンに隠れてずっと押し殺していた感情を、やっと外に出し、それを公にして、新しい生命の息吹を吹き込んだ。すごくエキサイティングなことよ。

 タッチスクリーンで音楽を書くこと、何かを作る手助けとなる新しいものを作ること、楽器がどのように響くかを想像すること、そしてそんなプログラムを書いて本当にそれを作ること。おもちゃ屋にいる子供みたいな気分よ。『Biophilia』のプロモーションが終わるのが待ち遠しい。そしたら、新しいおもちゃで遊べるようになる。

 不思議なものね。夢が現実よりも強烈なこともある・・・存在しない楽器用の曲を書くことに燃えることもあるし、それが現実になった時、本当に存在するようなった時、それを使うのはエキサイティングだと思う。 現時点では、これがどうなっていくのか、こういった道具を使うことにずっと喜びを持ち続けるのかどうかというところに興味がある。これを通して出逢った人と落ち着いて更に話をして、もっと何かをクリエイトすることを楽しみにしている。あと3年以内に10個アプリを作りたいと思ってる。もしかしたら、3ヶ月後には新しい曲を書いてリリースしてるかも。今はレコード会社との契約に縛られていないから、可能性は無限。この環境で更に仕事をしていくことが、とても楽しみ。

 私は『Biophilia』を聴きこみ、アプリや教育側面やあれこれに慣れてくるに従い、これはとても楽観的で、希望が持てるプロジェクトではないかと思い始めています。「テクノーー楽観主義」とノートにメモったほどで、何となく、私たちはずっとテクノロジーの否定的な側面に焦点を当ててきた文化ではないかと思っているんです。その一方、『Biophilia』はテクノロジーを通してよりよい世界へ到達できるのではという信念を喚起してるように思えますーーというのは私の妄想でしょうか?

 テクノロジーは人間がクリエイトしたものだということを忘れがちだと思う。これは道具であり、良い目的のために使うものであることを。悪い目的にも使えるけど。音楽から見た問題点は、新しいテクノロジーをどう使うかは、それで音楽をクリエイトしようとか、音楽を聴こうとする人よりも、主にビジネスマンが牛耳っていることだと思う。その他の分野でも似たようなものだけどね。

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