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アイスランド・エアウエイブス&オーロラ・ツアー、12年間有り難う御座いました!

 長い間、本当に有り難う御座いました。無我夢中でやってきたので、周囲から「ご苦労さま、有り難う」と言われて数日経ち、やっと何となく、あ〜終わったんだなぁ、と。

 何のことかと言えば、12年間(12回)行ったアイスランド・エアウエイブスのツアーを、数日前に終了した。今年が最後です。長い間、本当に有り難う御座いました。

 アイスランド最大の音楽フェス、アイスランド・エアウエイブスの参加ツアーを作ったのは2006年のこと。チャーター直行便のアイスランドへの復路(日本人から見ると往路)のみを使うことができた唯一の機会であり、それをキャッチするために九州まで飛んだ不思議な経路だった。参加者は確か6-7名。普通ならツアーにできない人数ではあるけれど、とにかくやりましょう!ということで開始。アイスランド音楽シーンが爆発的に面白くなっていく時期で、素晴らしいインディーズ・アーティストが次々と登場していたこともあり、ツアーはあれよあれよという間に音楽ファンの間で人気が出た。 

 第一回目の思い出は知り合いが無料でホエール・ウォッチング船に乗せてくれたのはいいけど、私も含めてみなさん船酔いをして吐きそうになっただけで、楽しくなかったという酸っぱい思い出(笑)。半分船酔いした足で希望者で『グランマLo-fi』の主人公となったシグリズル・ニルスドッティルお婆ちゃんの自宅にお邪魔し、彼女がみなさんに一枚ずつCDをプレゼントしてくれた時のみんなの笑顔が、彼女の楽しそうな様子が、今でも脳裏に浮かぶ。

 
 最初のツアーでは、私が最初にアイスランドに来た時から、音楽のことをいろいろと教えてくれた故ヨハン・ヨハンソンが私たちを楽屋に招き入れ、アパラットのメンバーと面白楽しく写真を撮ったことも。
 2007年のシーベア。若い頃のSin FangことシンドリとSoleyがここに。
 その後お客様のリクエストを具体化したり、私の思いつきで独自の企画をツアー内で実施。必ず毎年やったのは、シガーロスがコミュニティプールを改造したレコーディング・スタジオの訪問で、そこでは今年最後のツアーを記念して、シガーロスの音源を聴かせてもらった。1999年、シガーロスが初めて国営放送でライブを流した音源で(なので未発表ではない)、ヨンシーの若々しい声と、初めてシガーロスと演奏したというアミーナの初々しい演奏で、なんだか私は感極まってしまった。2003年、東京で見たシガーロスのライブ。ポップス好きだった私には衝撃で、別世界の音楽の世界が広がった瞬間だった気がする。90年代は子育てに忙しく、ほとんど新しい音楽を吸収していなかったこともあり、彼らの音とその頃仕事として調べていたまだ見ぬアイスランドへの思いが重なり、あれがたぶん、今の私を作る基礎の基礎になったと思うと、感無量だった。

 上の写真はスタジオ見学に行った際、たまたま居合わせた元シガーロスのキャルタン・スヴェインソンと。

 「スペシャル・スタジオ・ツアー」と銘打ったデイ・ツアーは、ほとんど必ずこのプール・スタジオと、もう一か所スタジオ訪問していて、それが年によってはベッドルーム・コミュニティ・スタジオだったり、別のスタジオだったり。ベッドルームではミニ・ライブが用意されていて、それがとても素敵だったのでその後は行く先々でライブを用意するようにしていった。廃虚だった発電所を改造したリハーサル・スタジオではアルスティディルがやってくれたし、アミーナのリハスタではアミーナが演奏。スタジオがひしめくグランディにもみなさんを引率した覚えがあるし、2018年にして最後になる今回は、アイスランド在住でアカデミー賞音楽賞受賞者のマルケタ・イルグロヴァのプライヴェート・スタジオを特別に解放してもらった。マルケタは生歌を披露してくれた上、それを録音してお土産に持たせてくれうという超スペシャル待遇。

 そういえば、アウスゲイルがレコーディングしているスタジオにもお邪魔したことがあり、その時はDJ flugvel og geimskipがライブだったし、アウスゲイルともいっしょに記念写真も撮り、それがアイスランドの新聞に報道されたことも。

 2016年1月にアイスランド現地Morgunbladid紙に掲載された写真。
 
 アイスランド・エアウエイブスのフェス後の一日を使ってバスツアーを作った時期もあり、印象深いのはムームのオルヴァルとグンニをガイド仕立てにしたバス・ツアー。夕食も共にして、最後はリハスタを見せてくれたことに、感涙していたファンも少なくなかった。お散歩ツアーでは、ウ人気の高いステレオ・ヒップノシスのスタジオでコーヒーとお菓子を用意してくれていたのもうれしかったし、アレックス・ソマーズ(ヨンシー&アレックス)のスタジオで、そのスタジオで録音したミカエル・リンドの音源を聴かせてもらったことも。今年は人気シンガーソングライターのスヴァヴァル・クヌントゥルと一日ツアーを共にしたし、そういえばシガーロスのPVで印象的だった断崖絶壁に行った年も。

 ハルパ会場が本格的に使われていた2015年ツアーのハルパでの記念写真。

 10周年の時もアーティストと食事をしたけれど(ムーム、シンファン)、今年はツアー最後を記念して、日本公演がほぼ決まってる新人のSpecial-K、14歳のアイスランド・エアウエイブス・デビューから見守り続けているJFDR、たまたま今年はJFDRと演奏していたムームのギーザの3人を交えての夕食会。その後は彼女達から直接CDを購入して、写真を撮ったりしてみなさん楽しそうだった。

 10年以上もやっていると、私自身の中でも気持ちに浮き沈みがあり、正直言ってやめようかと思った時期もある。当初はアイスランド・エアウエイブスに自分が行きたいから参加者と同じ目線でうれしかったし、自分自身がアイスランド・エアウエイブスに慣れて、あちこち見て回るのも楽しかった。そういう私の熱のようなものがみなさんに伝わり、そうして人が集まって来たツアーであったと思う。
 ツアーを実施しつつ、自分も体験を重ねるにつれ、関係者やアーティストとも多く知り合うことになり、それが独自企画を出せる人脈作りにもなった。内容の濃い企画を実施できるのは嬉しくもあり、毎回お客様に濃厚なサプライズをと思うと独自企画はプレッシャーだった。毎年の悩みの種となっていった。そうするうちにフェスは以前私が大好きだったローカルな雰囲気が消え、国際的に知名度を上げ大規模になっていった。とりあえず10年は続けたいと思ってはいたけれど、実はその数年前から、ツアーはもうやめようかとシバノさんあたりには少し気持ちを打ち明けていた。ツアー自体は軌道に乗っていたけれど、私の熱意でもっていたツアーでもあるので、これでいいのか・・・と。自分の気持ちの熱さの欠如に悩んだ時期だった。

 今年最後にしたのは、アイスランドの観光ブームに伴い、旅行代理店のリスクがあまりにも大きくなってしまったことが発端。どのようなツアーを作るにしても基本的な部分なので、結果オーライとはいえ、今年は非常に辛い思いをした。ごく一部の業者だと思いたいけれど、無理難題を押しつけてくるので、そんな情況ではとてもまともな企画はできないと判断した次第です。アイスランドの観光ブームが収まれば情況も緩和されるとは思けれど、どちらにしても、区切りはつけたいと思っていたので、今年をもって最後にしようと。

 12年目にして最後の今年は、私の気持ちもリフレッシュしたし、何よりもお客様に楽しんでもらいたい、私のツアーしかできない体験をしてほしいと細部に気持ちを込めて作った企画だった。もちろん以前も気持ちは充分込めていたし、出来上がったものを外から眺めれば何の変哲もない企画かもしれないけれど、実はすごく手間も時間も思考も時には試行錯誤も費やしたものだった。実施するのは数時間、長くて半日だけど、これが本当に結構な精神的プレッシャーで、周囲に相談しても、結局は私がどう思うかにかかってくる。参加者に唯一無二の体験をしてもらい、一生の思い出を作るには?という結構壮大な課題で、要は私自身も一生身にまとえる思い出であればきっと参加者もそうではないか、ということが基準となる。その落とし穴は、企画者である私は全てを実際に体験するため、体験を積めば積むほど自分自身のハードルが高くなる。初参加者であればいい思い出になるけれど、さて5回10回と体験している自分は、それが惰性にはならないか。毎回喜びと驚きをもって自分のツアーを楽しむことができるか。それは自分のツアーを語る上で実はとても大切なことだ。

 そんなこんなに疲れてしまった時期はあったけれど、それでもやっぱり音楽大好き、アイスランド好きの私は自分のツアーを楽しんだし、ご参加者と直接話をしたり知り合ったりするのが楽しかった。そしてこのツアーは参加年度を越え、自然発生的にアイスランド音楽好きのコミュニティのようなものに発展していき、どうやらアイスランドのアーティストが来日する度にみんなで集まったり、新年会をやったりと、趣味を通した楽しい仲間ができているようだ。それも全国津々浦々に。

 『アイスランド・エアウエイブス&オーロラ・ツアー』は2018年で終了です。今まで参加してくださったみなさん、本当に有り難う御座いました。一人一人の心の中に、楽しい思い出が沢山詰まっていますように。12年間本当にありがとうございました! (小倉悠加/ Yuka Ogura)

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