音楽はロンドンシンフォニー・オーケストラで指揮はダニエル・ビャルンソン。ダニエルとヨハンがどれほど親しかったかは今度ダニエルに会った際にでも尋ねてみたいと思ってる。もちろん知り合いだったろうし、互いに尊敬しあっていた仲なのではと想像しながらダニエルの指揮する姿を見守った。
音楽と共に流れてくるのは、女優のティルダ・スゥイントンのナレーションによる『最後にして最初の人類』からの抜粋。私は小説の内容を知らなかったため、異様なディストピア感に戸惑い、驚き、そして否応なしに陰鬱で未来が見えない世界へと引き込まれていった。
音楽は抑えに抑え、重苦しい。憂鬱な黒い曇り空がひたすら続くような、グレーの陰影しかない世界が延々と続く。鳥の声ともわからない、キーっと甲高い音が時々出てくるが、明るい兆しは見えない。むしろ女性による不協和音のコーラスが、不吉で不気味な予感を増長させた。
本当に不思議な感覚だった。ナレーションがディストピアの現実味・具体性を言葉でくっきりと提示し、そのトーンを増長するかのように音楽が不安感を扇ぐ。映像は耳から得られる情報(ナレーションと音響)の補助として、各人の想像を妨げない程度に、ごくミニマルに、シンボリックな造形を映し出す。
その造形は旧ユーゴスラビア諸国に点在するスポメニックという巨大な像で、戦争記念碑ということだが、なんとも不思議な形状で、宇宙人が作って置いて行ったと言われても疑わないかもしれない。これに関しては、以下のような記事を見つけた。
私はこのライブに参加する10日間ほど前、アイスランドのギャラリーでヨハンが音楽を担当した無声ドキュメンタリー映画『Miner’s hymns』と、やはりヨハンが音楽をつけた無声フィルム『End of Summer』を見た。前者は記録無声映画に彼が音楽をつけたもので、音楽が当時の雰囲気や空気感を見事に伝えていた。映画よりも音楽の方がゴージャスすぎて、音楽を聴かせるための映画かと思ったほど。
『End of Summer』はひたすらペンギンや自然を映していくだけなので、前者よりも更に音楽の素晴らしさが際立つ。通常、映像がある時はそれを引き立てるのが音楽なのだが、この二本は音楽が主役?と思うほどスコアが素晴らしく、音楽のクオリティに映像の単純さや荒さがミスマッチで、それが何とも心に残っている。
で、本当のところは?と思い調べてみると、このような英語記事「Johann Johannsson moves from composing to directing」が出てきた。そしてこれに目を通した後、一連の体験に合点がいった。彼は心に残る映像にいかに音楽でストーリー性を持たせるか、音楽でどこまで物語を語れるかを実験し(End of summer)、次はナレーションで具体的な物語をセッティングした上で、映像と音楽でどこまでその雰囲気を深めるか(Last and first men)を実験していたのではと思えてきた。
それから少し告白すれば、『First and last men』のナレーションは日本語で聞きたかった。私は英語は普通に理解できるけれど、SFは得意ではなく、「え?え?それってどういう意味??」という場面が多々あり、これが日本語であればもっとスンナリと言葉が頭と感情に直結したのにと自分の能力のなさを嘆いた。
できればこれから小説を読み、その上で再度『Last and first men』を体験したい。なのでアイスランドでこれが上演されることを心から願っている。(小倉悠加/ Yuka Ogura)