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ビョーク・バイオフィリア・インタビュー2 独自アプリ開発で北欧諸国の音楽教育に貢献

 ビョークの最新インタビューがアイスランドの英語情報紙「The Reykjavik Grapevine」に掲載されました。それを翻訳してお届け致します。ビョークが『Biophilia』をリリースした際にも一度インタビューを掲載しています。こちらにあるので、ご興味ある方は併せてお読みください。
ビョークのバイオフィリアに関しては、この記事「Didaskophilia」と「Biophilia Keeps Growing」「Capturing Biophilia」三部構成になっており、すべてICELANDiaで翻訳掲載を予定しています。

The Reykjavik Grapevine http://grapevine.is/
記事原文:Didaskophilia: Björk’s education programme breaks into the Nordic curriculum
http://grapevine.is/mag/articles/2014/09/17/didaskophilia/
Interviewed by John Rogers
Photo provided by One Little Indian
Japanese translation by Yuka Ogura

この記事はアイスランドの英語情報紙The Reykjavik Grapevineに掲載されたもので、 ICELANDiaは許可を得て翻訳・掲載しています。英語記事の著作権はGrapevineに、日本語訳は小倉悠加にあります。無断掲載、引用はお控え下さい。


北欧諸国に進出するビョークの教育プログラム


バイオフィリア・プロジェクトはその触手を思わぬ領域まで伸ばしている。そこに付随された教育プログラムは、科学や音楽を学ぶ手掛かりとして最新技術を用いながら、創造力を養うことを目的とする。「Virus」や「Crystaline」、「Moon」といったビョークの楽曲をベースに作られた最新鋭のアプリを用いて、シンプルな操作で楽しく夢中になれるような作りになっている。例えば点で風船を作り、それを飛ばすことにより宇宙のビッグバンを思い起こさせるのだ。

この教育プログラムはバイオフィリアのシティ・レジデンスの一環としてツアーに付随された。このツアーは例えばニューヨーク、パリ、東京等の都市で3-10回ほどの公演を行った。その際、児童は公演のセットに使われている新しい技術を見学し、ミュージシャンのワークショップに参加する。しかしこのプログラムはアイスランドで生まれ、開発された。レイキャビクの教育システムの中から、幅広い分野で数多くのコラボレーターが手を貸した。
「まずはレイキャビク市とアイスランド大学に連絡を入れた」とビョークは説明する。「レイキャビク市は先生達を、アイスランド大学は科学者を紹介してくれた。そして私はプロジェクトを提案した。クルヴル・ソロッドセンを指導担当の総括として雇い、私はといえば”このプロジェクトは10の異なる方向へ向かうことができそうだけど、誰かやりたい?”となり、行く先々で科学博物館やそういった機関で新しいコラボレーターを見つけた」

バイオフィリアに関わる多くのことが有機的な進化に見えていた一方、それが教育であれ技術であれ、このプロジェクトが多方向に分岐していったのは、常にビョークの好奇心であり意志であった。

「当初から、このアルバムが私の生涯で唯一の慈善・博愛主義的、かつ教育方法に関わるものになると思ってた」と彼女は説明する。「このプロジェクトは私のそういう側面を打ち出すことになった。私のようなことを、私ほど長く続けてやっている人は、あるところで必ずアート・スクールで教えるとか、ミュージック・スクールで教えるとか、講演をやるとか、そういうことに足を踏み入れる。それとか、それが分かりやすい形にせよ、それほど分かりやすくない形にせよ、後継者を従えるとかね。私はどうしようかと考えていて、その全てのエネルギーをこの一つの箱に入れることにした」

プロジェクトの手始めにやったのは文字通り「箱」だった。プロジェクト・リーダーのアッダ・ルナ監修のバイオフィリア教育道具箱。大きな荷物ケースに詰められた機材がレイキャビクの学校をツアーしてまわった。そこにはアプリがアップロードされているiPadや充電器、USB顕微鏡、アルバム収録曲をベースに考えられた授業が一式入っていた。しかし国際的な視野がプロジェクトが入り始めると、重い機材を持ち回ることが合理的ではなくなってきた。

普通の教師であればきっと、教室で生徒にスマホを使わせることより、いかに使わせないかに腐心するであろうが、このアプローチの評判はよかった。「科学や音楽の教師は何も小道具がなかったけれど、その場で全てをダウンロードすれば事が済んだ」とビョークは微笑む。「反応は大きかった。これで他の道具を使わなくても、重力などのことを教えることができると。だから今はヴァージョン203のバイオフィリアを全てアプリに入れようと、取り組んでいる」

 バイオフィリア203は北欧諸国の学校のカリキュラムに組み込むべく作られた、このプロジェクトの進化形だ。「これは少し微妙。というのも、私がこれに取り組んだ理由は、音楽教育が着席して本と鉛筆を使うというが主流だったから」とビョーク。「これはおかしい。なのに、今では素晴らしく興味深い専門家の協力を得てーー例えばデンマークの女性宇宙飛行士とか、フィンランドの宇宙物理学者とか、ものすごく楽しい人達でーーバイオフィリアの精神をほとんど全て一冊の本の中に納めることができそうになってきた。それって矛盾してる。だから私はまるで反抗期のティーンエイジャーのように、”違う!”と抵抗しながらも、型にはめることなくいかに授業で教えるかを示唆することはできるはずだと思ってる」

バイオフィリアは、楽しく、刺激的で、生き生きした体験を通して、子供達が考え、創造し、前進し続けるような教育プログラムであり続けることをビョークは願っている。「テキストの中にゲームの要素を盛り込むとかね。生徒が立ち上がって棒を持って何かをやったり、ひとりひとりが違う音を担ってみんなで輪になったり。それは楽しいし、費用もかからない」
各都市でのバイオフィリア・プロジェクトのレジデンシー・コンサート・シリーズが世界をかけめぐるにつれ、新たな地の新たな機関を通してビョークは様々な人々と交流する機会を持った。「大好き!」とビョークは喜ぶ。「サンフランシスコの科学博物館のミーティングへ行った時、私とアシスタントのジェイムスは長テーブルにつき、平均的な子供達に宇宙のことを教えるために働いている科学者に会った。すごく興味深い人達ばかりで、ものすごく楽しかった。私たちもその精神から始めたんだし。予算がなかったから、オークションで機材を買い、マックを使って自分達でプログラミングをした。プエルトリコでは9ヶ月かかったけど、全部自分達でやった。だからこれは、そういった人達とのものすごく大きなコラボレーションなの。私の独自のものじゃない。流れに任せて成るようにしたことは、とても健全なことだと思う」

このプロジェクトを実り多きものにするため、長期間集中して力を注ぎ込んだ後、ビョークは前進し、新しい音楽を制作している。が、彼女はこのプログラムの成功を願い、まだそこにも時間をかけている。「そろそろ、締めくくりのリボンをかけてもいいと感じてる。昨日、文科省でミーティングがあった時、私は笑いながらこう言った。”うわぁ、コーヒー三杯くらい飲まないと”ーーというのも、私の頭の中は次のアルバムのことでいっぱいで、バイオフィリアのことが入ってる脳味噌にアクセスするのが大変だった。鎮圧された慈善教育者を呼び戻すことが。だってそれは完全に満たされたから。慈善教育者の彼女はどこかで座りながらゲップしてる」(続く)(小倉悠加/ Yuka Ogura)

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